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ナンバー938の呟き

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身の程知らずにもわずかばかりの知性をふりかざしてみたくて呟くのである

ファミリーヒストリーはどこの家にもある

 生前父に聞いたところでは、父の祖先は日高奥(たぶん現在は日高川町)の山の中で炭焼きを営んでいたようだ。とはいっても実父は父が16歳の時に亡くなっており、どの程度たしかな情報なのかは確認できていない。日高奥の妹子という場所だというが、姉子という地所はあっても妹子は存在しない。おそらく姉子のさらに奥に何家族か住んでいたのだろう。
 実父のさらに両親が日高奥から山を越えて有田川筋に移住してきたという。居住地が水害で流され、炭の取引先であった修理川村に移り住んだそうだ。この修理川の住居には私も子供の頃に行ったことがあり、中心集落からぽつりと離れた有田川沿いの奥まったところに2世帯が住んでいた。いっしょに移住してきた親戚は和歌山市内へさらに移っていった。この山奥で父の家族は炭焼きをして暮らしていたようだ。
 水害という話をなんとなく聞いていたが、いまになって調べてみるとどうやら十津川大水害のことのようだ。1889年8月に秋雨前線の停滞に台風が高知県東部に上陸し、日雨量1000mmという豪雨をもたらした。十津川の方が有名であるが実は和歌山の被害の方が大きかった。
 戦前に神戸の軍需工場で働き、終戦とともに戻ってきた。戦前に貯めていたお金はわずかの価値になってしまったそうである。
 帰ってきても定職はなかったようで、筏乗りをしたり、石工の見習いをしたりしてやがて見よう見まねで盗んだ石垣積みの技術で農閑期をしのぎながら暮らすようになった。

 母の祖先は、元和年間に東牟婁郡古座町津賀から藩主の命で移り住んだ漁夫茂兵衛(妻くま)、茂太夫(妻ちよめ)の2夫婦のどちらかの末裔のようだ。これもどこまでが事実かは分からない。

 どちらにしても私のルーツは和歌山の南半分にあるようだ。
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by kkusube | 2016-02-21 15:47