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ナンバー938の呟き

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身の程知らずにもわずかばかりの知性をふりかざしてみたくて呟くのである

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 「シナン」を読了してから久方ぶりに夢枕獏である。陰陽師シリーズの最新長編。今回の主人公は平将門。ここに清明と宿敵道満がからんでくる。どこかで読んだようなエピソードの集大成のような印象があるが、そこは夢枕獏、短い会話を繋いでしっかりとおどろおどろしい妖怪話を作ってゆく。今回も、人が人として生きることの哀しさを源博雅に語らせながら、平安の都に住む陰陽師や鬼や妖物のうごめきを淡々とした語り口で綴ってゆく。「シナン」では取材しながらの伝記的な要素をうまく書くものだと感心したが、陰陽師では奇書に書かれた記述をネタに、さらに空想の翼を広げ、哀しき人の物語を綴ってゆくのは、夢枕獏でしかできない業だろう。
 映画化の際に使われなかったアイデアを書き留めておこうと思ったこと。陰陽師の長い話を一冊書きたかったことがこの作品を作者に書かせた主な理由だそうだが、全体を通してよくまとまった一つの映画ともいえなくもない。それほど脳内で絵が浮かんでくるような作品であった。
 夢枕獏の商業誌デビュー作のひとつに「かえるの死」というタイポグラフィックがあるが、それに小野道風が出てくる。学生の時にも授業で「将門記」を授業で読んでいるのも不思議な縁だろうし、この時代のことは夢枕獏は学生時代に仕込み始めていたのだよね。
 このところ図書館で借りた本ばかりこのところ読んでいるが、「オリュンポス(上・下)」を読了して以来、比較的快調に読書を楽しんでいる。
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by kkusube | 2007-05-26 12:03 |
 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」武田邦彦著を読んだ。データの出し方とか文章力には、クライトンの「恐怖の報酬」を上回れないものがあるが、おおむね面白い話だった。どこに着地すればいいのかが弱いので、環境推進派のいっていることと大差ない部分もある。水素エネルギーや燃料電池の話も突っ込めば面白いかもとも思った。ラストで石油の枯渇について書いているが、この部分は原子力の専門家としてはいささか手落ちの内容だろう。資源は有限であり、使い続ければやがては枯渇するのは間違いのないことである。石油も新しい油田の探索が減る傾向から、30年で枯渇とかいう予想もありえる話かもしれない。しかし石油問題は、単なる資源の問題というよりは経済問題であり、地球上にはまだまだ大量の化石燃料が存在することを、著者はあえて隠しているとしか思えない。もしも石炭や油砂などの埋蔵量を丁寧に調べてみれば、石油の方がコストが低いので使われていることが分かるだろう。ほんとに石油が枯渇するならば、石炭の液化や油砂の分離の技術が飛躍的に開発され、それが取って代わられることは目に見えている。石油を支配している資本家達は、石炭や油砂といった化石資源の多くをもほぼ手中に入れてしまっているので、石油がふんだんにあるうちは枯渇するとあおって単価をあげておけばそんのぶん液化石炭でも利益があげられる値段になるという寸法なのである。
 あえて急激な人類の増長を防ぐ意味では、石油資源を保護しようという主張は有用なので、あえてその部分には触れなかったのかもしれないが、公平な記述とはいえないのではないかと思う。
 つい先日、「地球温暖化によって、大雪山にかつてはなかった松などの植物が群生し始め、高山植物が侵食されているので、ボランティアが松などの侵略植物の退治に乗り出した」とTVで報道していた。活動しているボランティアの人たちはどなたもまじめな良識ある人たちに見えたが、自然の摂理は自然にまかせるべきであるという原則を忘れているのではないだろうか、あなたたちは何様のつもりなのか?と訊いてみたい印象を受けた。
 これも北極海でのシロクマの映像と同じなのだ。温暖化でかわいそうだから何とかたすけたいという安易なメッセージを垂れ流している。地球46億年の歴史なんかこれっぽちも理解しない、自分が生まれて過去数十年程度の範囲でしかものごとを見ることができない近視眼的な人々が多くなってきているのだろう。
 まさに、基礎教育というか理科力が必要な時代になっていると感じる。
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by kkusube | 2007-05-19 10:31
 「ロング・グッバイ」を買ったこともあって(実はこちらはまだよんでいないのだが)、久しぶりに村上春樹を読んだ。アメリカで出た傑作選をそのまま日本版として出したものだが、作品の選択のせいだろうか、ハヤカワから出ている異色作家短編集や河出の奇想コレクションのラインナップとして出版されても何らおかしくないような内容である。もちろん日常生活の機微を淡々と描いたフツーの小説もあるのだが、表題作の「象の消滅」にしても「緑の獣」にしても「TVピープル」にしても、奇妙な小説である。きわめつきは「踊る小人」。とある国の象工場の工員が北の国から流れ着いたという踊る小人に翻弄される話だが、象工場では1体の象から5体を作り出しているのである。ジャンルで分けてしまえば、SF短編といっても何らおかしくはない。60年代にジュディス・メリルという切れ者のおばさんがSFを拡大解釈して、ジャンルSF以外からもどんどん作品を収録した年間SF傑作選を編纂していた。日本語訳ではジャンルSF以外からの作品は大幅に割愛されてしまっていたので、その全貌は分からないが、もしもその時代にムラカミハルキが英語に翻訳されていたら、間違いなくそのSF傑作選に収録されていたであろう作品が半分くらいを占める。村上春樹の小説は、比較的平易な表現をつかい、しかしどこか拘った人間達を描いていることに特徴がある。この短編集に収められたフツーの小説の中の主人公達は、そうすることがよかったのか悪かったのかはわからないという態度を常に持ちたがるようだ。「窓」などは、何気ない作品なのだが、なんとなく個人的に共感を覚えてしまう。果たしてそこで行動したらよかったのか?実際にはできなかったのだけども。という人生での瞬間は、いまでも度々遭遇しているし、この中の主人公はあのころの自分自身ではないかとも思えてしまうのだ。
 もちろんわたしはムラカミハルキのように不必要な文書をそぎ落としてしっかりとあやふやな状況を語ることなどできないのだが。
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by kkusube | 2007-05-13 20:31 |
 環境問題にしてもそうだけど新聞広告などを賑わせている健康食品、TVで大流行のスピリチュアルなどと、このところ人の不幸につけこんだ悪辣な商売が目立っている。何をなりわいにして生きようが人の勝手といってしまえばそれまでだが、あまりにもそういう部分で糊口をしのごうと人々が群がりすぎではないだろうか?厳しい言葉で言えば、吐き気がしそうなくらい個人の利益のためだけに糊口をしのごうという人間が増えてしまっているのだろう。しかも情報伝達手段としてTVなどのマスコミを大いに利用しているので、簡単にだまされてしまう人間も増えている。
 環境問題が大切なことは言をまたないだろう。人間がより快適に生存し続けるのはどうしたらよいのか。これは人類がはびこりだしてからいらいの永遠のテーマだ。しかし偽のデータで都合のよいように扱われては困ることになる。誰がが得をするとかいう、問題ではないからだ。健康食品の目に余る普及にしても、科学の時代から暗黒の時代に逆戻りしているかのようだ。身体によいものを経口摂取したところで、ほとんどが消化されてアミノ酸等に分解されてしまうという中学生レベルの理科が理解されていない。となると理科の教育の問題かも。占いなどの系統に属するスピリチュアルは、マジックなどに似た芸能の話なのだ。個人芸がすばらしいのはよいとして、それを話芸として楽しむのではなく、真実として信じこんでしまうとなるとこれもひどい話である。こちらも個人の能力の問題だろうか。もしもそれほどすばらしい才能があるのならば、行方不明になって困っている人をピタリと解明できないのだろうか?行方不明に人のありかすら探せず、何がスピリチュアルだろうか?
 要するに儲ければいい、他人の不幸は蜜の味だから、喰えるところで喰ってしまおうというだけの世界なのだ。
 本来はこういう場面では宗教が抑止力に働いたりするもんだが、今の世の中宗教も欲ぼけしてしまっているのかもしれない。 
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by kkusube | 2007-05-12 08:25
 名のみ高いスタージョンの『一角獣・多角獣』を図書館より借りてきて読んだ。どの話もこの作者しか思いつかないような奇妙な怪奇話で、奇妙な味というとそうかもしれないが、SFでもミステリでもホラーでもないような、しかし強烈な印象を残す短編ばかりだ。どこからこんな話を思いつくのだろう。シジジイというなんだか分からない物体を描いた「めぐりあい」「反対側のセックス」。「考え方」という最後を飾るに相応しい人間の奇妙さを描いた作品。どれをとってもスタージョンしか書き得ないような作品ばかりだ。その毒が強すぎて馴染めない読者と毒にしっかりと心を掴まれてしまう読者と、さまざまな読み手がいるだろうが、作家としては不遇だったことを考えると毒が強すぎて馴染めないか、あまりの奇抜さに理解不能の読者が多かったのだろうと思う。
 どの作品を読んでいても、どこかで読んだことのあるような風景なのは何故だろうか。どこかというよりも、手塚治虫という漫画家の作品で読んだような気がしてならないのだ。手塚治虫がライオンブックスなどに描いた奇妙な話。その作品群とどこかでスタージョンの作品がつながっているような気がしてならない。手塚がスタージョンの作品を読んでいて、それを自作のネタに取り入れたということもあるのかもしれない。しかし作品の発想レベルの奇妙さで二人がどこか似た資質を持っているような気がしてならない。「ビアンカの手」も、こんな手の化け物の話をどこかで読んでいる。

 この作品集は、まさしく文字で書いた手塚治虫の怪奇物といえるかもしれない。
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by kkusube | 2007-05-08 22:00 |