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ナンバー938の呟き

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身の程知らずにもわずかばかりの知性をふりかざしてみたくて呟くのである

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「逆転世界」クリストファー・プリースト著 400p 
(2007.6.23~6.29)

 まじめな口調で綴られるバカ話。プロローグで語られるシカケが物語の筋に絡んでくるのはラスト近くになってからなので、その時点でバカ話であることに気づくわけである。
 原作が書かれた時期よりも200年程度未来の話。その間に人類は化石燃料が枯渇しテクノロジー文明が使えなくなるという大崩壊を経験している。主人公たちは、中世風のギルド制度のもとで暮らす移動都市人。リーブの「移動都市」にも似ているが、こちらはレールを敷設してその上を移動する列車都市のようなものである。住んでいる人々は原子力で動いているのだと信じている。描いているのはその世界での人々の日常なのだが、プリーストが描く人々は、知的でもなくなまめかしくもない。しみじみとした筆致はマイケル・コニィの「冬の子供たち」などの作品を思い出した。コニィの作品もある意味「逆転社会」と似たような読後感をもたらす。
 ようするにビッスンの「英国漂流」なのだ。あるいは小松左京だかの「日本漂流」。ワンアイディアで、短編でもいいような話をふくらませてその世界を詳細に描写しているのだ。
 こういうバカ話の「認識の変革」というテーマはSFの醍醐味なんだそうだけど、吃驚仰天するほどではない。カバー裏に書かれているような「ファウルズを驚嘆せしめた、SF的アイデアと文学的完成度の稀有な結合。燦然と輝くプリーストの最大傑作!」とは感じないまでも、ヘンテコな世界を描いたバカ話としては読ませる作品だと思う。
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by kkusube | 2007-06-30 08:51 |
「星からの帰還」ハヤカワ文庫 379p
(2007.6.10~6.24)

 「ソラリス」を読了してから随分と間があいていしまったが、同じ年に出版されたSF系の作品である。1977年の6月11日に生協で購入して、その夏ごろに一度読んでいるが、今回読み直してみて「マトリックス」の手法を使えば映画化できるのではないかと思った。3年後に集英社からハードカバーで出版されているが、その後は入手困難になっている。

 ストーリーは宇宙へ探検に出た宇宙船が127年後の地球に帰ってくる。星から帰還した宇宙飛行士が、帰ってきた社会にとまどいながら同化を試みる話である。この未来社会の様子が、レムらしく読むものの目も眩ませる世界なのだ。
 宇宙飛行士たちが帰ってきた地球は、ベトリゼーションという人類から闘争心をなくす処置が行われた社会である。活動はロボットにささえられて、人類に危険な要素は排除されている。ある意味理想化された共産社会になっている。書かれた時期からすると、理想的な共産主義社会への警鐘的な側面もあったのかもしれないが、内容はそんな簡単なものではない。レムは、程度の低い御用作家達のように単純に社会批判のために物語を書いたりしない作家だからだ。
 物語は主人公のブレッグが帰還した社会にもまれながらも、宇宙飛行時の思い出をたどりつつ、一人の女性を見初めて結婚するという風に進む。どうして結婚する要素が必要だったのかはわからないが、レムの遊び心かもしれない。
 ここに描かれたテーマは何なのだろう。牙を抜かれた人間のむなしさ?高度に発達した社会でのロボットの苦悩?宇宙探検隊の意味?
 どれとも読むことはできるだろうけれど、レムはそれぞれを読者に自分の頭で考えることを要求しているのではないだろうか。
 今回読み直してみて、これは「ソラリス」と並ぶ傑作なのではないかと思った。もちろん部分的には未熟な部分がある。書ききれていないというか、内容が陳腐になりつつある部分は存在する。しかし、長編は全体を通した勢いで評価すべきであって、部分部分の評価ではない。
 すばらしい作品である。再刊されていないのが惜しい。

 いっしょに帰還したオラフはこの社会に同化することをこばみ、再度宇宙へ旅立ってゆく準備を始める。グレッグがどうするのかは描かれていない。ラストはブレッグが生まれ育った土地で夜明けを迎えるシーンで終わっている。

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by kkusube | 2007-06-24 09:10 |
 読みたい本はいっぱあるのに、実際に読み出してみるとなかなか進まないし、読み終わるとすぐに内容を覚えていない状態で、いったい何のために本を読んでいるのだろうかとしばし思考する日々である。
 「本」の愉しみというと、実物を手にとって眺めている愉しみ、読んでいる途中の脳の快楽、読み終わったあとの充実感などがあると思う。どこに重きを置くかにもよるが、読んでしばらくすれば内容を忘れてしまうのはいつものことで読んでいる途中ですらどんどん忘れてしまう状態で、なぜ本を読むのだろう。こんな状態ならば、数冊の本を繰り返し読んでいるだけで十分に読書の愉しみを満喫できてしまう。一生の読書に必要な数冊なんてことになってしまう。
 しかし、新刊書を手に取ると所有したくなってついつい買ってしまう。すると家の中は本であふれるということになる。新刊書では飽き足らず、昔買えなかった古書にも手を出したところ、ますます家の中は本であふれることになる。
 いまの自分にできる最大限のスピードで一生にどれだけ本を読めるのかという馬鹿げた机上の空論で蔵書数を計算してみたところで、読んだところですぐに内容を忘れてしまう読書にどの程度の意味があるのだろうか。あるいは読書家は読んだ本の内容ををかなりの間忘れずにいるのだろうか。そんなに記憶がいっぱいになってしまってもうまく引き出せるものなのだろうか。
 文字を読んでいる時間の愉しみという面で考えるならば、消費される読書時間や本というものは食べ物とかと同じと考えてもいいかもしれない。
 日常生活の中の飲み物や食べ物と同じものという考え方ならば、本とのつきあいかたもずっといままでとは違ったものになるような気がしてきている。
 ひとはなぜ本を読むのだろう。
 いかがだろうか?
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by kkusube | 2007-06-16 09:16 |
 三菱重工からかねてから開発に着手していた国産ジェット旅客機MRJの胴体モックアップをパリエアショーに展示し、外部からの評価しだいでは本格的な開発をローンチさせるという発表があった。この種の機体は現行ではボンバルディアのCRJ700/900とエンブラエル170/190シリーズの2シリーズがシェアを持っているし実績もある。エンブラエルの方が後発なため胴体の大きさがやや大きいことなどがあるが、どちらも安い開発費を元に安価な機体であることが従来の機種からの代替やハブ空港からの地域便として評価されるポイントとなっている。いくら高性能でもこのクラスはまず安価でないと買ってもらえない。運行コストも低くないとエアラインとして採算が取れないので、低燃費のジェットエンジンの開発も重要である。できうればターボプロップと同程度の燃料コストであることが重要となるだろう。
 三菱重工が開発している新機種は、新しい複合材料を使い低燃費を実現するという。これはエンブラエルと同じような狙いなので、さらに低燃費でないと評価されない。しかもJALはこのエンブラエル170の導入を決めているので、国内ではボンバルディア100/200のリプレイスかQ400のリプレイスしか市場がない状態である。Q400は伊丹などのジェット枠が制限されているような状況では、今後増加する可能性はあってっも、少なくなることはないだろう。すると市場は世界ということになる。航空機の販売は特殊な部分があって、コネを持つ営業者がその顔をフルに使って売り込むというスタイルである。そういう営業者に受け入れられる飛行機だろうか。
 ボンバルディアはカナディアチャレンジャーというビジネスジェットの胴体延長版で、開発費を低く抑えている。エンブラエルはブラジルという生産コストの安い国で、技術的には使い古された技術を利用してコストをさげている。はたして日本でそのようなことができるのだろうか?
 ダイヤモンドジェットといわれたMU300の二の舞にはならないのだろうか。
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by kkusube | 2007-06-13 20:51
 わりと身近によくあるセカイ系の話かなというのが第一印象。
 といっても、最近の文学はほとんど読んでいないので、セカイ系がなんたるかよく知っているわけではない。レディースコミックの原作にもなりそうな雰囲気もある。比較的頭の中でのイメージが作りやすい話だ。
 この手の話をとんと読んでいないので、正直に言って評価はできない。話の内容も、頭では理解はできるが身体では理解できない。読んでいて、どうしてそんなに深く考え込むのだろうかと、イライラしてしまいがちだった。話の構成面や言葉としての表現は手馴れていてうまさを感じる。さらに書き続けることで、そして作者の視線で表現しつづけることで、作者の存在感がでてくる思う。読み手を楽しませてやろうという悪戯心がでてきたら、さらに飛躍すると思うが、いかがだろうか。
 自分以外とはつきあえなかった女性が、はじめて自分の中に飛び込んでくる男性に出会って、やがてはその男性を飼っているつもりが、溺れていることに気づいたあたりで、急にその男性が目の前から消えてしまう。自分以外ではじめて大切に思った存在が消えてしまったことで、その存在の大きさに苦闘する主人公。自分のことしか考えられない個人主義の主人公が、自分ではない自分と同等の存在に出会うというファーストコンタクトの話かなとも思った。
 ある日「永遠のさよならなんてさ、けっこう簡単にできるんだ」といい残して、男性(ネコニャ)は主人公の目の前からフッツリと消えてしまう。その消えてしまった間の主人公の苦闘は、まさに自分以外とはつきあえない自我をもった人間の苦闘でもある。その苦闘の様子が細かく描かれているからこそ、男性が戻ってきた時に主人公の嬉しさは、読んでいても共感できるものがある。

 余談だが、ヒトはチンパンジーなのかオランウータンなのか。同じ類人猿でヒト科であるにもかかわらず、この二種類はまったく違った社会生活を営む。人間もそのどちらかの遺伝子を引き継いでいるに違いない。自分だけでは生きられず絶えず群れて生きるのか、自分以外とは生きられず単独生活するのか。ここで描かれている主人公たちは、人と人とのつながりが苦手な、単独生活者たちだ。単独生活者は意外に、孤独に弱い。干渉されたくはないが、孤独にはなりたくないのだ。
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by kkusube | 2007-06-05 21:14 |
ちょっと遠出を敢行して、話題の「旭山動物園」にいってきました。
まいりました。
すばらしいです。
動物園とは何かをとことんまで問い詰め、どうすれば動物園が生き残れるか模索し、基本に忠実にしかも徹底してやることを目指したその姿に感動しました。
不思議な動物がいるわけでもないし、冬は極めて寒いという厳しい条件の元、何かことがあればすぐに要らないものとされていしまう動物園。どうすれば動物園が必要とされるのか。
それを実現したすぐれた園長とそれに影響されて鍛えられた職員たちの血の滲むような日々の奮闘が、動物園に一歩踏み込んだとたんに感じられました。
ここはいいぞ!そういう雰囲気がビシビシ伝わってきて、その昔青少年だった頃ムツゴロウこと畑正憲にどっぷりとのめりこんだ身には堪らない場所でした。
一ビジネスマンとして、基本に忠実にひとつひとつ課題をつぶしてゆく作業の大事さを痛感させてくれるよき場でもあります。
行動展示という動物の見せ方。これにここまでこだわれることもすばらしい!
ここにしかいないとう珍獣がいなくても、何度も見たくなるようなよさがあります。
しかも係員さんたちが皆気持ちいい。「いらっしゃい。こんにちは」と進んで挨拶できる。動物達もこころなしか他の動物園よりも毛並みがいいように感じました。
売店でも基本的に旭川の業者がお菓子などを出していて気持ちよかった。そこでしか売っていないお土産は、地元の生産者が作るべきなのです。旭山動物園で、札幌の生産者のお菓子を売っていてはいけないと思います。地域に根ざしたお土産だからこそ、そこで買う価値があるのです。
そういう意味でも小菅すごいぞ!と感動の動物園でした。
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by kkusube | 2007-06-04 20:22