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ナンバー938の呟き

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身の程知らずにもわずかばかりの知性をふりかざしてみたくて呟くのである

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 インターネットは極端な発言に溢れているし、面と向かっては何も言えないようなおとなしい紳士淑女が、びっくりするような罵倒言葉を吐き捨てる場でもある。いまに始まったわけではなく、パソコン通信の時代から変わらぬ、人間の本質というかエゴを丸出しにしやすい要素を備えている。
 政治的な話も、右が嫌いだ!否左が嫌いだ!と姦しく鬱陶しい。もちろん政策やこの時代をどうしてゆくのかあるいは日本人はどうあるべきかなどを論議することも大切なことである。何事にも無関心でノンポリを通すというのが正しい態度だとは思わない。
 これは近隣諸国に対する嫌悪感に関する発言にも大きく影響している。近隣諸国に脅威を感じたり不信感を募らせたりするのは自由だし、近隣であるからゆえの仲の悪さというのは人間がもつ共通の性のようなものを感じられるのだが、では嫌悪を露わにすることで何が得られるのだろうか?社会生活がシームレスでワールドワイドになってしまっている現在において、特定の近隣諸国とまったく関わらずに生活してゆくことなどできていないのに、あたかも近隣諸国で生産された製品(人も製品とみなしていいが)は拒絶しているかのような発言には強い恣意的な疑惑を感じる。
 個人的には近隣諸国で生産されているアイフォンを使っているような人に、近隣諸国を罵倒する矜持があるのだろうかと思っている。
 何を持って純血な日本人とするのか?何をもって国産とするのか?
 もっともっと学び考えていかなければならない。
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by kkusube | 2016-09-18 08:32
「友達みたいな関係にはなれなかったけど、今まで出会った中で一番の運命の人」とはNMB48の渡辺美優紀がグループ卒業の際に山本彩に言った言葉だが、『いきものがたり』の中で水野良樹が山下穂尊を評して「いきものがかりを結成してからは独特の距離感を保つようになった二人だが、この時期はまだ、お互いを友達と呼べる時期だった」と書いている部分となぜか重なるような気がする。
友達みたいな関係って何なんだろう・・・。
明石家さんまは誰に彼にも友達と呼んで、ホンマの友達は誰なんですか?と太平サブローに突っ込まれても、ホンマのもなんも友達は友達やと返していたけれど、言葉は便利なもので幅広い意味を含有するがゆえにコミュニケーションの役割を果たす。これがガチガチの意味しか持たなければもっと不便なものになるのだろう。
ずっといっしょにいることが友達と呼べる要素だとしたら、性格も行動の仕方も違う二人が友達になるということは難しいことだろう。たまさか同じ仕事同じ職場に配属されたら、友達ではないけれど近しい人にはなるだろうし、さんまのように友達と定義してしまってもいいのかもしれない。

最近は友達がいないことがアピール材料になってしまっているきらいもあるが、コミュニケーション不全と友達がいないこととは違うと思うし、あえて友達が多いことをアピールする必要もなくなってきたのではないかと思う。
所詮人は生まれてきてひとりで生きるしかないのだろうから。
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by kkusube | 2016-09-10 17:15