2008年の初めに
新しい年を迎えるとなんだか仕切りなおしをしてみたくなるのはどうしてなんだろう。元旦のTVでNHKへの露出を極めていた歌手のさだまさしが「元旦の計は別に元旦にしなくても区切り区切りでしてもよく、そうしてどんどん後伸ばしにしてゆくゆるいおじさんになってしまいましょう」というような的確な表現をしていたが、まさに少し立ち止まって考えたときに今生きている自分としての計はたててみるのがいいのだろう。
毎年書いているようなことを今年も改めて書くのは気が引けるけれど、「人はいつかは死ぬ。それが早かったり遅かったり、それはその人の決められた生き方なんだろう」と思う。運命決定論者ではないので、結果論としてそれだけの人生だったのだろうということだ。命としてこの世界に生を受けて、いつ命として終わりをつげるのかは知らないまま生き続けて、やがて土に帰る。それがこの地球に暮らすことだろうと思う。
いつ終わりをつげるのか知らないまま生かされているのならば、その生き続けている瞬間を可能な限り豊かな実りあるものとしたいと思う。どの瞬間も無駄がないなどということはありえないが、その瞬間が良かったねとか楽しかったねとか前向きに思える割合を高めるような努力をする姿勢が大切だろうと思う。
どこを区切りにするという大げさなことではなく、今年もできる範囲でやりたいことをし買いたいものを買い、そろそろ自分という人間のメンテナンスに努めていければと思う。
子年は12年の新しいスタートだ。
毎年書いているようなことを今年も改めて書くのは気が引けるけれど、「人はいつかは死ぬ。それが早かったり遅かったり、それはその人の決められた生き方なんだろう」と思う。運命決定論者ではないので、結果論としてそれだけの人生だったのだろうということだ。命としてこの世界に生を受けて、いつ命として終わりをつげるのかは知らないまま生き続けて、やがて土に帰る。それがこの地球に暮らすことだろうと思う。
いつ終わりをつげるのか知らないまま生かされているのならば、その生き続けている瞬間を可能な限り豊かな実りあるものとしたいと思う。どの瞬間も無駄がないなどということはありえないが、その瞬間が良かったねとか楽しかったねとか前向きに思える割合を高めるような努力をする姿勢が大切だろうと思う。
どこを区切りにするという大げさなことではなく、今年もできる範囲でやりたいことをし買いたいものを買い、そろそろ自分という人間のメンテナンスに努めていければと思う。
子年は12年の新しいスタートだ。
by kkusube
| 2008-01-12 10:09